民族霊長類学— 生物人類学と文化人類学の和解に向けて (Riley 2006)

Riley EP, 2006. Ethnoprimatology: Toward Reconciliation of Biological and Cultural Anthropology. Ecological and Environmental Anthropology, 2(2):75–86. [http://digitalcommons.unl.edu/icwdmeea/8]

民族霊長類学 ethnoprimatology」という言葉はだいぶ前にAJPかなんかの論文で見たが、あまり関心がなかった。しかし、最近ちょっとしたきっかけで関心を持ち、本を買って読むことにした。その前段階として、手短に概要をつかもうと読んだのがこの論文だ。

「人類学」は文理にとらわれないホーリスティックな学問だっ事になっているけれど、実際はそうでもない。すごく大雑把な言い方をしてしまうと、生物人類学者と文化人類学者に分裂してる。両者は所属学部だって違う。そして、自らのディシプリンの枠から出ようとせず、互いに敬して遠ざけるような感じでいる。

でも、それをなんとかしたいと思っている人々が両方の陣営にいるのも確かだ。著者の Rileyは、彼らの提唱する「民族霊長類学」が、そんな両者を繋ぐ架け橋になりうるのだと述べる。

もともと、1960年代、初期の霊長類学は人類学より心理学、動物学、行動学のほうが近かった。ローレンツとかモリスとか。霊長類学と人類学の接近に貢献したのは Hootenと Washburnである。 Washburnは弟子の DeVoreにヒヒの研究をさせ、霊長類の野外研究に人類学の要素を導入した。だから、DeVoreの学位論文はラドクリフ=ブラウンの影響を強く受けているのだ。また、彼らは共同で人類進化に関する記念碑的なシンポジウム “Man The Hunter” を開催し、後の人類学に多大な影響を与えた。

DeVore以降、霊長類の野外研究が盛んになった。しかし、それは霊長類学と人類学のさらなる接近には繋がらず、むしろ両者は袂を分かっていった。霊長類の野外研究は、飼育下のサルの研究との差異化をはかるうえで、それが “自然条件下” での “本来の” 姿であることを強調することになった。ここでいう “自然条件下” とは、人為の影響を受けていないということを意味していた。

一方で、野外では飼育下ほど観察条件をコントロールできないことがマイナス点であった。そこで、野外霊長類研究者たちは、野外においていかに “客観的な” データを取るか、ということにも取り組んだ。 Altmanらが、社会行動をバイアスなく量的に記録し、統計的分析にかける方法論を開発したりした。

そうやって野外霊長類学が科学への道を突き進むあいだに、文化人類学の側はどうなったかというと、文化相対主義やポストモダニズムに走って、もはや人類の進化も人間の本性も彼らの関心事ではなくなってしまったのである。

かくも断絶した生物人類学と文化人類学であるが、民族霊長類学はどうやって両者を架橋するのだろうか。

一つは、ヒト以外の霊長類の多くの生息環境には人為の影響が多かれ少なかれ存在し、自然条件=人為がない、という図式が成り立たないことが認識されてきた。そして、環境への人為の影響は昨日今日の話ではなく、かなり長い共存と共進化の歴史を持っていることも明らかになってきた。だとすると、科学としての霊長類学は真剣に “人為” と格闘しなくてはならない。また、野生霊長類保全を考える際に、人為を絶対悪とみなすことが効果的でないことも明らかになってきた。その際に、文化人類学の成果と研究手法が役に立つであろう、と著者は述べる。

なるほど言いたいことはよく分かる。で、具体的に民族霊長類学って言うのはどのようなパラダイムなんでしょうか。と思ったら論文が終わっちゃった。続きは本で読めということか。というわけでこの本を買いました。

Ethnoprimatology: A Practical Guide to Research at the Human-Nonhuman Primate Interface

竹ノ下祐二
竹ノ下祐二
理学療法学科 教授

専門分野:人類学・霊長類学、生物多様性保全学、子ども学