霊長類の社会生態学:生態決定論という失われた夢 (Thierry 2008)

Therry B 2008 Primate Socioecology, the Lost Dream of Ecological Determinism. Evolutionary Anthropology, 17:93–96. http://dx.doi.org/10.1002/evan.20168

霊長類の社会生態学は、霊長類の社会の様相を生態条件によって説明しようとする。そのために、社会システムをいくつかにカテゴライズし (たとえば egalitalian とか nepotistic とか、メス分散とかオス分散とか)、食物条件や捕食圧などの生態学的要因を説明変数とするモデルで説明しようとするのだ。

そのような試みを最初に行なったのはランガムだが、その後ヴァン・シャイクやそのほかいろいろな人がモデルを修正したり、あらたな説明要因(たとえば「潜在的な子殺しのリスク」)を加えたりしてモデルを精緻化させてきた。

だが、そうした努力にもかかわらず、現実の霊長類の社会はモデルではうまく説明しきれない。その度に、モデルは修正され、あらたな説明要因が加えられる(たとえば「感染症」)。しかし、それをくりかえすうちに、モデルはすっかり複雑になってしまった。そもそも、モデルというのは複雑な現象をなるべくシンプルに説明するところに意味があるのであって、かんじんのモデルが複雑になってしまったのでは元も子もない。

そこで著者は、すべての霊長類の社会を包括的に説明できるような単一の総合モデルを追求することはもうやめようと提案する。

日頃から同じようなことを感じていたので、著者の意見には大賛成だ。モデルやさんは、あるモデルを提唱すると、さかんにそれを「検証」する。で、多くの追随者が似たような研究を量産しはじめると、今度は従来のモデルでは説明できないことを見つける。そして、修正モデルを提唱し「前のモデルはもう古い。これからはこちらの時代だ」と煽る。食物の分布がメスの分布を決めてそれにオスがのっかるのだ・・・いやこれからは分布じゃなくてパッチの密度だ・・・いやこれからは捕食圧だ・・・いやこれからは子殺しだ・・・いやこれからは感染症だ・・・という感じで。

ほんとうに既存のモデルでは不十分ということがあきらかになったからというより、化粧品や洗剤のメーカーが次々と新商品を出すようなものではないか、目先を変えて、同じフィールドで永遠に新規モデルを「検証」する論文を書けるようにしたいだけじゃないか、と思う。

かといって、著者は霊長類の社会は生態学的要因では決まらないと言うわけではない。また、これまでのモデルが間違っているというわけでもない。社会生態学が提示してきたさまざまな環境変数(食物の分布、密度、捕食圧、子殺しリスク、感染症など)は、大なり小なり霊長類の社会構造に影響するだろう。著者が否定したいのは、ひとつの総合的なモデルですべての霊長類を説明しようとすることだ。

ランガムによる「パイオニア期の」モデルがもてはやされたのは、比較的シンプルなモデルでおおむね社会システムの変異を近似していたからだ。モデルはシンプルであるべきだ。適用範囲は広いが複雑なモデルより、適用範囲は狭くても単純なモデルのほうがよい。個々の種や地域、個体群ごとに、これまでに社会生態学で提唱された環境変数の全部を使うのではなく一部を使って、現象をうまく説明できるシンプルなモデルを構築することをめざしたほうが生産的だ。そして、そのほうが現象により根差した研究になるだろう。

シンプルなモデルが、研究の進行とともに多くの研究者をまきこんで複雑化し、最終的にまたシンプルなものに回帰してゆくプロセスが、分野違いだが「 UNIXという考えかた―その設計思想と哲学 に描かれている「第一のシステム」から「第三のシステム」への推移とよく似ていておもしろかった。

竹ノ下祐二
竹ノ下祐二
理学療法学科 教授

専門分野:人類学・霊長類学、生物多様性保全学、子ども学